律令体制において高度の達成をみた古代宮司組織の形成のうち、下級宮司、なかでも、「所」「司」などの呼称でいわれる臨時機関の特質を追究した。正倉院文書のいわゆる東大寺関係の造営事業に携わった宮司のうちで、先ず「作寺司」や「写経所」などの「司の所」を分析したあとをうけて、平安時代に対象を写し、伊賀国名張郡に展開した黒田杣、阿拝郡の王瀧杣の杣経営の実態から下級組織がいかに具体的な経営形態をとるものかを分析した。とくに、律令法制用語、「所司」を手掛かりとして、杣所司、庄所司などの庄園文書に則した検討を進めることができ、一応の成果をえるに至った。 (1)在地所司の類型としていくつかの「一所司」(例えば厨司、条司、園司…)などが存するが、いずれも地域の実態に応じた多様の在り方をすること。 (2)黒田杣に見られるように、10世紀以降の刀祢屋の組織化を契機として、所司の形成にいたることが多く、在地所司究明のヒントを与えていること。 (3)在地所司の不可欠の役割として文書(公験類)の保管機能があり、10世紀以降の「公証制度」の在地化の情勢のなで、次第に中枢的な位置を占めるにいたったと思われること。 (4)地域住民の結末がこれら在地所司を核としてすすめられていたと思われること。(但しこの点は今後の課題としておきたい) (5)同庁が公田と私領を問わず在地所司を掌握しておいた可能性が高いこと。 荘園制に代わる概念として一般化している「荘園公領制の内実を究明するためにはこの在地所司の経営実態の理解が不可避であること。以上の諸点を明らかにすることができた。
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