この3年間の研究では、江戸時代の北日本地域(東北・北海道)における民衆の生活文化を、菅江真澄が著した旅日記・随筆・地誌を利用してどのように明らかにすることができるのか、その方法論を模索してきた。研究成果報告書には、菅江真澄の使い方・読み方のひとつの試論として、「鳥追い歌の歴史分析」という論文を収録した。この論文は、真澄が記録に書きとどめた10例ほどの小正月の行事で歌われる鳥追い歌を取り上げ、鳥追い歌に出てくるいくつかの重要と思われる言葉に注目し、その言葉に込められた意味や背景を歴史的に読み解こうとしたものである。とくに悪鳥の追放先として「佐渡が島」と「蝦夷が島」が出てくることに関心を持ち、日本人の境界観念に引き付けて考察した。この鳥追い歌の考察にあたって心がけたのは、真澄が採集した鳥追い歌のいくつかのパターンがどのような地域的なひろがりをもっていたのか知るために、東日本一帯に分布する鳥追いの歌を民俗調査報告書などから収集することであった。その集めた歌は、資料として研究成果報告書に掲載した。真澄を積極的に利用する場合には、近世史料・民俗資料などから類例をたくさん集めて比較検討していくことが必要であろう。研究期間内には、この鳥追い歌の分析にとどまらず、真澄の記述にヒントを得てすでに公表した論文が数本ある。それらのなかで、飢饉下の獣肉食・人食いの実態ないし言説、乞食や遊女をさす「コモカブリ」という言葉の由来、アイヌ民族に対して使われる「和人」という表現の成立、について考察したが、詳しい内容は省略する。これらの他にも本研究の成果を踏まえて、いくつか論文として順次発表していきたいと考えている。
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