1.調査・研究 愛知県北設楽郡稲武町(大字小田木を中心)を対象に、聞きとり・文書調査を行った。明治後期、公立小学校教員が村の生活の中に占めた位置、果した役割について考察した。 2.成果の概要 国家の重要施策として展開された公立小学校設立の事業は漸く各地方に具現し、小学校教育が定着しつつあった時期である。村内では、日常生活において、また種々の行事において、小学校長は村長や村会議員と並ぶ有力者であった。それは公立小学校長という公的な地位、教師という職業によるものであるが、さらに村内で重要な機能をもつ青年会に、その指導者として大きな影響力を有していたことも寄与している。同村の出身で、若者組の先輩であり、師範学校卒業という、村の優等生として一般の敬意をあつめていることも無視できない。あるいは、その出身家系、階層等も関わることもあるかもしれない。 学制以来の公立小学校の普及の過程で、その経済的負担について法的措置が不十分な事情もあって、旧来の村の共同体的機能に依存して、はじめて小学校の経営が可能であったという事情がある。村人の生産い動とその組織や慣習と一体化した公立小学校の経営が、村人の学校への親近感を深め、その支持の強化に役立った。 学制教育の普及が、こうした学校への村人の支持に援けられ、校長や教員への村人の敬意もここから生ずる。さらに、村の組織に組みこまれた学校への、村人たち、ことにその指導層の影響力が重要な問題となる。勅令主義により臣民教育が強制された時期ではあったが。 校長・教員による青年会指導の実態と、その影響について考察を続けたい。
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