研究概要 |
本年度は昨年度にひきつづき雨森芳洲の隠居(延享5年1748)後から死波までを中心に調査を行なったがなお藩政のしくみが解明できてくるにしたがい芳洲の出仕前の対馬藩のあり方についても調査の必要が生じ寛永〜貞享期にさかのぼって藩政記録の調査を行なった。調査は従来通り対馬藩の表書札方,奥書札方,組頭方の各毎日記を中心に行なったが藩政の仕くみを知るためには役方の人事記録なども参考にする必要があり今年度の調査は日記,記録類が半ばした。以下に調査を通じて得られた新知見の二、三をあげるとまず芳洲に関してはさすがに隠居後とて毎日記筆に記録されることが少なくなるが次男の松浦賛治,嫡孫の連,弟子の阿比留太郎八,大浦益之進らの藩政にかかわる記録が多くなり世代交代の感がある。松浦賛治や連は芳洲のように儒者として仕えてはいないが学識を買われ藩主への進講,あるいは藩校の学頭に任ぜられ,また阿比留太郎八はかつての芳洲のように儒者から御用人へ,大浦益之進も儒者として朝鮮方につとめるなど芳洲の教育の成果をつぎつぎにみることができる。一方藩政のあり方については基本的なことは理解し得たと思っている。これまで対馬藩の藩制や行政組織にかかわる研究はまったくなくその解明に時間を要したが藩制の中に芳洲を正しく位置づけることができるようになった。研究の成果は平成9年度中に『対馬藩藩儒雨森芳洲の基礎的研究』と題して出版すべく目下原稿作成中だが従来にない藩政記録にもとづく確かな芳洲論を披瀝できる予定である。
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