八幡宇佐宮の荘園形成とその構造上の特質を神宮寺弥勒寺側から検討するのが本研究の目的であった。3年間にわたって、石清水八幡宮と弥勒寺の関係、弥勒寺と九州各地の八幡宮との関係ついて調査研究を進めてきた。 まず、初年度は、弥勒寺領の荘園の中でもっとも史料にめぐまれた豊後国都甲荘の調査を行い、その荘園の構造や開発過程を明らかにし、平成7年の『中世のムラ』にその成果を発表した。次に、平成7年度は初年度の石清水八幡宮の史料調査で得た「宇佐年中行事」を翻刻した。最終年度の平成8年度は、宮寺縁事抄納筥目録と宮璽御事紙背との関係について検討を行った。この成果は、今年度中にはまとめられないが、平安時代の中期に九州の八幡宮の支配がいかにして宇佐弥勒寺に組織化されたのかを再度検討し、特に、弥勒寺喜多院所領注進状に現れる寺院や神社について、その弥勒寺領への組み込まれ方や古代の弥勒寺との関係について検討を行っている最中である。 この過程で、まず、「宇佐年中行事」に注目し、八幡宮祭礼の中心である「放生会」の中世の在り方、古代における放生会の成立と弥勒寺との関係を明らかにした論文「放生会を読む」を公表した。次に、平成9年3月には、古代の八幡神における仏教との関係を明らかにし、「八幡大菩薩の登場の歴史的背景」を別府大学史学研究会『史学論叢』27号に掲載した。荘園成立の前提にやや入り過ぎたが、平成9年9月に出される『大分県の歴史』では、これまでの成果を踏まえて大分県域の宇佐宮の荘園の成立、構造について最新の成果を公表する予定である。
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