この研究では、江戸時代に作成された蚕書に描かれた挿し絵を、歴史研究のための史料としての有効性という視点から追究してきた。その結果、江戸時代蚕書の挿し絵は、中国から渡米した絵画の系譜を引いた耕織図の影響下にあらわれ、その絵画としての要素から、時期を経るにしたがい技術伝達を目的とした図版としての性格を強めていったものであることが判明した。 この流れのなかにおける画期は、19世紀初頭に上梓された『養蚕秘録』であり、このときから蚕書の押し絵に図解としての性格が現れるようになってきた。この蚕書の挿し絵は、絵画と図解との要素が混在していることが特徴である。この挿し絵は、前者から後者への過渡期のものというより江戸時代文化の特性として把握するものと考える。 こののち幕末期にかけて、挿し絵を伴う蚕書が数量としては増加していくが、挿し絵そのものは『養蚕秘録』からの転写がほとんどであり、技術伝播を目的としたメディアとしての新たな展開は認められない。したがって、江戸時代に著された蚕書中の挿し絵については『養蚕秘録』収載のものだけが史料としての信憑性をある程度備えたものと見なし得るのである。 こののち、幕末開港期には日本の蚕書が当時の養蚕最先進地帯であったイタリア・フランスにて翻訳・刊行された一方で、両国の養蚕技術も日本へもたらされた。明治5年に田島彌兵が著した『養蚕新論』にいたり、耕織図の影響を払拭し、挿し絵は技術解説の手段としての挿図という性格を明確にしていったのである。
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