交付申請書に記載した研究実施計画に基づき、本年度は、東北大学付属図書館、酒田市立光丘図書館、秋月郷土美術館、長崎県立長崎図書館、出石町史料館、国立国会図書館、国立公文書館内閣文庫、東京大学史料編纂所などの諸機関を調査し、評定所に関する史料を募集した。かかる史料は、焼き付けて、整理・筆耕し、多くの史料を分析した結果以下のような事実を明らかにすることができた。 すなわち、組織・制度面に関しては、評定所には、寺社・町・勘定の三奉行、大目付、目付、評定所留役、目安読、評定所留守居(のち評定所番)、同心、書役などの役職が置かれていたが、専属職員は留守居以下の少人数にすぎず、主たる役人は兼務、または、出役によって占められていたこと、その中で、評定所一座とよばれた三奉行8名が評定衆の主役であり、彼らを実務面で補佐したのが、勘定所から出役する留役18名であったこと、一般の刑事事件については、当轄奉行、つまり寺社・町・勘定の各奉行が単独で裁判を行い、特に重要な刑事事件のみが一座掛あるいは五手掛(三奉行と大目付、目付)によって取り捌かれたこと、一方他領他支配関連の民事事件は、評定所の定式寄合日たる式日(2・11・21日)、立合(4・13・25日)で取り扱われたこと、などが判明した。 また、特定事件の審理や重要政策の立衆など機能面は、「僉議留」や「撰要類集」、「大岡忠相日記」などの史料により、その詳細が明らかとなった。すなわち宝暦期の郡上騒動や天保期の仙石騒動については、「濃州郡上郡一件御僉議・御用掛留」、「仙石左京一件」によって審理過程が具体的に判明し、延亨期の古金銀・通用の件は、三奉行全員が、評定所に集まり評議していることが判った。 以上の研究成果は、残余の関連史料の筆耕・分析が終わり次第、論文にまとめ、学会誌に発表する予定である。
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