小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「島根通信」(『ジャパン・ウイ-クリー・メイル』紙)とこれをもとにした「三つの俗謡)(『心』所収)序説はいずれも明治中期の卓越した部落問題記述の一つである。前者の原文と筆者の訳文を後者の原文・訳文と比較検討すると、歴史的叙述はいくつかの事実誤認があるものの、当時の諸研究に照らして水準が高く、民俗学的記述は同時期の諸著作中、抜群の内容と言ってよい。これは来日間もない時期の自身の見聞をもとにしているため、彼が偏見とほとんど無縁であったからであり、西田千太郎の影響も無視出来ないと考える。両者とも主として「山の者」と称された旧賤民身分の人びとの当時の生活と彼らが伝承していた大黒舞の芸を詳述しているが、彼らと彼らの歌舞を日本民俗とその芸能と正しく理解し、特に後者は部落問題が社会問題化した時期に発表しており、時宜を得ている点に彼の鋭い問題意義が示されている。 八雲の「山の者」に対する字義通りの同情は神戸時代の体験をもとにした「門つけ」(『門』所収)にも見られ、瞽女の三味線芸に対する高評は「山の者」の演ずる大黒舞へのそれと同質のもである。彼の部落問題記述には晩年にまとめられた「社会組織」(『神国日本』所収)がある。この方がよく知られているが、「島根通信」・「三つの俗謡」序説よりも内容が大きく後退しており、偏見の少なくない文献や話し手の影響を強く受けていることが窺える。こうした部落問題記述の変化を同じく蔑視されていた瞽女を叙述した「門つけ」などと合わせて考察すると、彼の真の同情はとくに俗謡・芸能にたずさわる女性に向けられていることがあきらかになり、彼の社会的弱者に対する関心が生い立ちや体験と深く関係していることが理解出来る。この点をさらに追究することが八雲のヒューマニズムの質をあきらかにする上で不可欠である。
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