本研究は、近代東アジアの民衆運動に焦点を当てて考察するものである。具体的には、趙が朝鮮における東学の運動を、山田が中国における義和国、教門、会党の運動を具体的な対象として検討を進め、相互の獲得した知見に基づいて比較史的考察を行った。その結果、朝鮮・中国における民衆運動は、いずれも華夷秩序に基礎を置く世界観を基層において共有していることが認められた。例えば朝鮮の民衆運動において排除の対象となった敵-他者(外国)は、民衆の意識のうちにおいて等距離であったわけではない。多くの諸外国の中でも中国=清朝は別格の「大国」と認知されていた。これは民衆にとってても知識人同様、華夷秩序に基づく世界観が受け入れられていた証であり、民衆運動もかかる<あるべき秩序>=伝統の護持として戦われることになる。事態は中国でも全く同様であった。四川義和国運動では、中華を体現する神=「関帝」と一体化し、憑依状態に入ることにより、外国人、或いはこれに迎合する(と見られていた)官の懲罰が行われた。ただし、このように民衆が依据した「伝統」は決して自明のものであったわけではなく「他者」=外国との出会いによって、求心的に「発見」されたものであった。かかる民衆的世界が如何にナショナリズムへと収斂されていくかが次の課題である。
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