当該年度における主要な研究目的は、所謂ウェスタン、インパクト以降における朝鮮中国それぞれの民衆運動を規定していた「正統」性論理の比較検討であった。換言すれば近代東アジア世界-本研究の場合は朝鮮・中国に限られる-において影響と起こった民衆運動が如何なる論理により自らの行為に正統性を付与し、如何なる異議申し立てを行い、その論理が如何なる回路を経て「ナショナリズム」へと流れ込んでいくのか、を具体的に検証することが作業の核心となったわけである。2の点について趙は李朝末期の原州民乱に着目し、民乱が一君万民的な儒教的ユートピアの論理に裏打ちされていたこと、それゆえに民乱は旧来の徳望家的秩序観を解体しえず、再びその論理の中に収劍していったことを示した。一方、山田は清末四川の秘密結社(会党)並びに紅灯教反乱をとりあげ、彼らの運動の指針となった「正義」が清朝王朝国家とは完全に分離された絶対的価値として掲げられていたことを示唆した。即ち中国の民衆運動は、王朝国家=儒教的ユートピアから派生した価値観を根底に据えながらも、朝鮮とは異なり王朝国家それ自体は儒教的ユートピアの体現者として認知されていなかったのである。
|