本研究は、オスマン朝国家(1299-1922年)の支配と被支配の関係を、人と制度の両面から再検討し、オスマン朝国家の被トルコ的性格を明らかにすることを目的としている。問題を、A:オスマン朝国家の支配者と被支配者、B:オスマン朝国家における統治制度の特徴とその起源、の2サブテーマに分割し、2箇年の研究期間の初年度である今年度はAについて検討を進めた。 先ず予備的作業として、初期オスマン朝国家史関係文献(オスマン語年代記、文書及びヨーロッパ人の手になる旅行記や在留報告の類)の調査・収集を行った。さらに、それら文献の読解を進め、原文資料の日本語訳をパーソナル・コンピューターにデータとして入力した。 サブテーマAの考察に当たって設定した種たる検討項目は、1)オスマン王家の起源と彼らを取り巻く社会集団、2)支配階層としてのカプ=クル、3)被支配者としての「トルコ人」と異民族、の三点であった。予備的作業で得られた史料及びコンピューター化されたデータを利用しつつそれらの検討を行った。その結果、(1)オスマン王家は起源的に遊牧トルコ族の流れを汲む人々であるが、オスマン朝国家の興る13世紀末前後には既にアナトリア半島西北部において東ローマ帝国領内のギリシア系領主などと密接な関係を持っており、その意味でオスマン朝国家はトルコ系の人々を中心基盤にした政権とは言えないこと、(2)キリスト教徒子弟から徴集されたカプ=クルが中央及び地方の統治実務上極めて大きな役割を果しており、トルコ系の遊牧部族制的な支配の色彩は希薄であること、(3)従って、オスマン朝国家においてトルコ系の人々は、王家と同様に遊牧トルコ族に起源を有しながらも、オスマン王家及び異民族出身者(カプ=クルなど)に統治される「被支配民族」の一面を有していたこと、などの点を確認することが出来た。
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