平成7年度は、主に、モスクワ貴族層が伝統的にもっていたといわれる退去権、すなわち貴族がその君主への勤務を自由に変えることのできる権利、をめぐって検討を加えた。これは、6年度に、西欧におけるのと同様の「諸身分」(等族 Stande)(そしてその一構成要素としての貴族層)が、モスクワにも存在したかという根本的な問題に、一応の肯定的解答を出したことを受けて、行われたものである。その成果はそれぞれ本報告書の研究発表欄に記した通りである。 貴族の退去権について、本報告者は次のような結論に達した。すなわち、この「権利」は、隣接する諸国からそのエリート層を引き込み、もって諸国の国力を弱めようとするモスクワ国家の政策的必要性からできたもので、それゆえ、モスクワ貴族層にとって、勤務の自由を保証する特権などではなく、実際には行使しえない、みせかけの「権利」でしなかった、というものである。 7年度にはさらに、モスクワ国家の「諸身分」の一つであるべき、聖職者の俗権観(世俗権力をいかにみていたか)に関する論文、また本研究の背景をなすモスクワ国家の成立とその展開の歴史を通時的に捉えた論考を発表した。 これらを通じて本報告者は、モスクワ貴族層は、一見して「退去権」から想像されるほどに、自立的な存在ではなかった、という認識に到達したわけで、ある意味では、これまでの一般的見解を確認することになったのであるが、それにもかかわらず、モスクワ貴族層が君主権力と密接な関係を結び、統治の実際を牛耳る存在であったことも明らかにしえたことが、貴重な成果であったと、考えている。けだしこれまでの研究ではこの点が軽視されていたからである。
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