本研究はモスクワ国家の貴族層を、プロソポグラフィーの手法を用いて、分析することを目的としてはじめられた。具体的には、貴族個々人の伝記的・系譜的情報をできるだけ多く集めて、貴族諸家門及び個々人と君主権力の関係、貴族の諸家門・諸グループ間の関係、貴族層全体の果たした役割等を明らかにすることが目的であった。 各年度の成果をまとめると、平成6年度には、研究の前提として、そもそもモスクワ国家に君主権との関係で問題にしうるるような、西欧におけると同様な貴族「身分」が存在したかどうかを問い、一応の肯定的結論をだした。次いで、平成7年度には、貴族のいわゆる「退去権」に焦点をあわせ、それが君主権との関係で貴族に一定の自由を保証するものであったかを問い、これに否定的に答えた。すなわち、退去権は、あくまでもモスクワ国家の政策的必要性から導入されたものであったのである。ただし、これをもってモスクワ貴族の無意味性の論拠とすることはできない。モスクワ貴族はその存在意識を、君主権との密接な関係のうちにこそ見いだしていたからである。最終年度には、いわゆるイヴァン雷帝の「千人書」に注目し、広義におけるモスクワ貴族層の勤務人としての具体的あり方を検討した。また報告書には、ボリス・ゴドノフが権力を掌握するまでの貴族層との関係を考察する一文を付け加えた。 以上から、本研究では、モスクワ貴族層が多様な局面でツァーリ政府の統治に参画し、モスクワが単に専制国家と言われるのとは大きく異なる実態を有していることを示しえたことで、研究の目的の過半は達したと考える。本研究は貴族個々人のデータの電算化処理という点では課題を残したが、それは研究の前提的作業が予想外に多かったためで、この点は、何とか近い将来において埋め合わせたいと考えている。
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