「共和政の伝統をもつフィレンツェにおいて、なぜ貴族寡頭政ではなく、君主政が実現したのか」という問題への、解答の展望がひらけた. フィレンツェ経済の国際市場での地位は15世紀に下降し、その有力者層は国内の不動産とりわけ土地への投資を拡大した。同時にフィレンツェと従属都市、および市内の有力者層と民衆との富や権力の格差が拡大したが、有力者層の経済基盤の上記動揺により権力構造が不安定化した。有力者層はこの危機を克服するために、15世紀には同層への権力集中をはかったが、少数の彼らに国家権力が集中する「共和政」ではついに克服しえなかった。ここに彼らの権力を相対化する一方、廷臣化した彼らの既得権を保証し、国家内部の権力の調整をおこなう君主政が16世紀に出現した。 当該研究期間に「フィレンツェにおける君主政の成立と有力者層の存在形態」(研究課題名)に関して 当該科研費による研究に、他の研究を関連させて考察し、上記展望に集約される一連の研究成果をえた。当該科研費による直接の成果「トスカ-ナ大公国の領域構造」では、地主化した有力者層の廷臣化と、君主政下の領域支配構造を解明した。 上記展望により、イタリアの自治共和国が君主政国家に移行するメカニズムが、フィレンツェを例として理解できた。その結果、イタリア近代国家の構造的特質の理解と、ひいては近代君主政国家の構造に関する他国との比較とへの道が開けたと思う。
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