ポリス市民と非市民の概念については、都市国家の発展した古代ギリシアでは、原理的には古代人の意識や法であれ、近代の研究においてであれ、明確な規定がなされてきている。しかし、現実には、市民と非市民の間には多様な形態の中間身分が存在し、市民の側には劣格市民や不正市民という形で、非市民の側には市民的諸権利の部分的所有者や潜在的市民権資格者という形で幅広く存在している。昨年度は主に植民者の市民権の性格について検討し、母市市民権の形式的放棄と財産的相続権をめぐる潜在的保留との間に多様な可能性が存在したこと、その条件、植民の形態や性質によっても相違が存在したこと、などについて明らかにし、市民と非市民との間には、明確な区分は存在しないのではないか、という問題提起をした。 本年度は、この問題を深めつつ、その延長線上の問題として、市民権意識の発生過程と、その制度的時期の検討を試みた。この最終的到達点には、市民権法の成立と居留外国人(メトイユイ)身分の制度的確立が存在するわけであるが、そこに至る段階では、政治参加の権利としての市民権と、財産相続権やその潜在的権利の保証としての市民権の側面との間に、問題の性質に埀離がみられた。前者は単純に政体論との関係で考察でき、役職就任を除く政治参加自体は、固定的権利よりも慣習的状況的なものに左右されつつ、漸次的発展を遂げていったといわざるを得ないが、後者の問題は、非時間的な家や社会の歴史的伝統の経緯に根ざすものであり、実態論的に追跡できたのみであった。両者を論理的に関連づけて考察するに至っていない。この点で植民者の市民権に関する考察と同性格のアポリアに直面しているといえる。 今後は、この両者を端的に体現していると考えられるアテナイの庶出子の場合を本格的に考察することによって、この問題をさらに検討してみる予定である。(平成8年3月22日)
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