総論、市民と非市民との間の境界線は、従来厳然たる区別が主張されてきたが、ポリスにより、時代により多様である。とくに、庶子、植民、劣格市民、などの市民権上の地位についてはポリスにより、時代による差異が大きい。時代的推移としては、アーケイク期から古典期に向けて区別が厳密になり、古典期も前期から後期にかけて逆に不正市民の増加という形で、ある意味では、境界線が実質的に甘くなってきている。一方、ポリスが対外的軍事危機に陥った場合には、非常事態的措置により新市民創出が図られることがあり、この場合にも市民と非市民の境界線は一時的に崩れる。 各論、まず、最も古い部族改革を実施したスパルタでは、ペリオイコイとしての豊富な人的資源を持つため、新市民を補充する必要性は顕著ではない。むしろヘ-ロータイの決死的遠征を促す口実として戦術的に市民権付与が約束されている。ここでは庶子の階層が劣格市民として、海外植民や内争の火種を提供しており、境界線上の問題となっている。その他のド-リア国家においては、対外的軍事危機に非ド-リア系先住民を新市民として市民団にとり込む傾向にあり、ド-リア三部族制が四部族制に再編成されている。シキュオンがその典型であり、僭主クレイステネスは、先住民で構成される第四部族によって旧三部族を圧迫し、僭主の座を安定化している。 コリントスやアテナイでは。政治の中心地たる都市民=旧市民に対して地方の村落共同体の成員が新市民として、新8部族、新10部族に編成された。これら地方村落の成員のそれ以前の身分は明確でないが、この部族改革によって市民として対等な関係において正式な市民団成員になったことは疑いない。いずれも3地区のクロス、セクション方式の市民団構成という複雑な措置がそのことを証明している。北アフリカのミュティレ-ネの場合の種族的クロス、セクション方式も同じ役割を持っている。これらによって古典期の市民団構成は安定する。
|