本年度はアレクサンドロス時代のマケドニア王国を解明するための一つの鍵として、一夫多妻制に着目した。前5-4世紀のマケドニア王は複数の妻をもつのがふつうであった。アミュンタス3世は2人の妻から6人の息子と1人の娘を得、フィリッポス2世は7人の妻から2人の息子と4人の娘をもち、アレクサンドロスも3人の妻をめとった。こうした婚姻慣行は、フィリッポス2世の暗殺や大王の即位、さらには大王死後の後継者戦争にも少なからぬ政治的影響を与えた。したがって一夫多妻における行動と心理を解明することは、古代マケドニア王家の理解のために不可欠といえる。 しかるに厳格な一夫一婦制を実践していた古典期のギリシア人は、こうした実態を理解することができず、王の複数の妻のただ一人を正妻と呼び、他は妾などと称した。この歪みが近年に至るまで受けつがれてきた。したがって一夫多妻制の研究は、現存するギリシア語史料の徹底した批判と一体のものとして進めなければならない。こうした見地に立って、アレクサンドロスの母親オリュンピアスをとりあげ、悪評に包まれたその生涯を根本的に再検討することを試みた。
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