研究概要 |
前1000年紀後半広大なオリエント世界を統一するのに成功したハカ-マニシュ朝(アカイメネス朝)ペルシア帝国にとって交通・通信システムの整備・拡充は、税制改革をともなったサトラプ制の確立とならぶ、重要な課題であった。 従来断片的に言及されるにすぎなかったこの問題に関して、本年度は、近年あらたに利用できるようになったペルセポリス出土の王室経済文書(エラム語粘土板文書)のひとつ「城砦文書」に基づいて、イラン高原南西部における宿駅制度およびその利用実態、王や高官による「旅券」の発行等について分析・検討した。その結果当該地域の幹線道路上には20-25km間隔で宿駅が設置され、「旅券」を有する公務旅行者に対しては各宿駅で宿泊施設の利用はもちろんのこと食糧や馬糧、代替馬の提供が無料でおこなわれていたことが確認できた。さらに宿駅を利用した緊急時の情報伝達のための騎馬郵逓制度、外国人使節に対する王室ガイドの配置等についても検証例を得ることができた。まさに適切・迅速な情報の入手と輸送のネットワークの確立が国家支配・統治の手段として明確に認識されていたと言ってよい。後代の世界帝国の駅伝制、たとえばローマ帝国のクルスス・プブリクス、アッバース朝イスラム帝国のバリード、モンゴル帝国のジャムチなどが基本的にハカ-マニシュ朝の制度を踏襲したものであったことも明らかになった。 今後宿駅管理の指揮系統等についてさらに分析を進め、本研究の成果は1996年Leidenから刊行予定のPersepolis Studies,Memorial Volume in Honour of Prof.David M Levisに発表する予定である。
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