前1000年紀広大なオリエント世界を統一するのに成功したハカ-マニシュ朝(アカイメネス朝)ペルシア帝国第3代の王ダ-ラヤワウ1世(ダレイオス1世 存位522-486年)にとって、交通・通信システムの整備・拡充は、「王の代理人」たるサトラプの介在によって可能となった中央集権体制をより効率的に維持・運営していく上で必要不可欠の重要な課題であった。報告書では「王の道」と古来称される幹線道路の整備それを利用した宿駅制度、情報収集・指令伝達の方法、公用語の採用等について論じ、失行するオリエント諸国家とは明確に区別されるべきハカ-マニシュ朝の特徴として、騎馬遊牧民としての伝統を反映した、帝国のコミュニケーション・システムにおける馬の積極的な利用があることを指摘した。 ハカ-マニシュ朝のオリエント支配が、その富と強力な軍事力によって支えられていたことは、言うまでもない。しかし同時代のギリシア人達が非難したような独裁者たる王による「専制」というより、むしろ被征服地における人脈や伝統・慣習をも許容し利用しつつも最大限統治の有効性を追求しようとした点にこそ、ハカ-マニシュ朝の特質があると言ってよい。 ハカ-マニシュ朝の諸制度は、その後の「世界帝国」の多くに継承された。それはまさに「柔らかい専制」と呼んでいい、統合と共存が並立しうるシステムの有効性が認識されたからに他ならない。そしてそれは、現在私達が直面している異文化との共存という問題を考える上でも、重要な示唆を与えてくれることになるであろう。
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