研究概要 |
過去に難波宮跡や京城で出土した重圏文系軒瓦の資料をもとに、軒瓦が主要殿舎のどの部分から出土したかについて検討し、難波宮における創建時の使用瓦の検討を行った。 難波宮跡で出土した重圏文系軒瓦は、軒丸瓦が直径13cm〜18cm、軒平瓦は幅21cm〜28cmの間で、軒丸瓦が13型式、軒平瓦が14型式に分類された。 これらの瓦を発掘調査時に設定された3m方眼の中にマークして、どの型式の瓦がどのあたりからよく出土したかを調べることで、その建物の創建時の瓦を推定した。難波宮跡出土の瓦の大半は重圏文系軒瓦であるが、わずかに蓮華文軒丸瓦と唐草文軒平瓦がある。それらは、主として内裏地域で検出されている。そこでは、重圏文系軒瓦の出土例が少ない。一方、太極殿院地域では重圏文系軒瓦が大部分を占める。 過去の発掘調査で太極殿院からは軒丸瓦が113点、軒平瓦が103点出土している。その内、蓮華・唐草文瓦の割合は、丸瓦が1,8%、平瓦で3,9%にすぎない。内裏と太極殿院・朝堂院で主たる瓦の使用に区別があったことがわかる。 全国にアンケート調査した結果によると、重圏文系軒瓦が出土する地域に片寄りが認められる。難波宮から搬出された長岡宮と平安京の出土例は特別である。平城宮から出土しているが、宮殿の軒瓦としては主流ではなく、難波宮とは系譜を異にする。 難波宮系は大阪府下と広島県安芸郡に広がり、平城宮系は千葉県の旧上総国・群馬県の旧上野国など東国に顕著であり、その他の地域でも平城宮系が多い傾向にある。現在までの出土例では、国分寺・尼寺に多いが、広島では役所の施設である。8年度では、各地の遺跡との具体的な比較をもとに系譜関係の追求と長岡宮・平安宮出土例との移動関係の確定を行い、総合的な結論を目指す。
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