1.初期須恵器窯跡の集成を行い、各窯跡の特徴を整理・分析し、相対的な年代の有無を検討した。初出期の窯は、北部九州の一群(朝倉窯跡群・隈西小田窯跡群、居屋敷窯跡)と、岡山県奥ケ谷窯跡、香川県三郎池西岸窯跡、大阪府吹田32号窯跡、同大庭寺遺跡、同一須賀2号窯跡に限定されることが解った。 2.各窯跡は、ほぼ同時期と考えられるが、系譜は北部九州と他地域では異なると予想できた。 3.大庭寺遺跡、および周辺の陶邑窯跡群の資料を分析し、最古型式の設定を行った。最古窯跡は、大庭寺遺跡(TG231窯跡)であり、続いてON231号窯跡、TK73号窯跡、TK85号窯跡、TK87号窯跡が順次成立することを明らかにし、TK73型式に先行するTG231型式を設定した。 4.最古型式の設定の妥当性を検討するため、消費地の遺跡の検討を行った。主に大阪府堂山古墳と久米田古墳群の出土須恵器について検討・分析した。両者が短時間の須恵器であり、限定された窯跡から運ばれたことが予想され、最古型式の設定が妥当性をもつと判断した。 5.最古型式の設定を基に、日本における須恵器生産の開始と展開を再検討した。TG231型式段階には、朝鮮半島から直接渡来した工人が、北部九州・四国・中国地方と近畿地方において操業(渡来型)するが、その後しばらくは築窯されず、ON46段階に、陶邑窯から各地に拡散(国内波及型)していく様相が追認でき、出現期とその後のあり方に差が存在した。出現期の特色は明確であり、朝鮮半島と有力豪族の有機的な関係が予想でき、以降は大和政権(陶邑窯)主導型となる。
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