本研究の基礎的な考古資料となる「郷家」「官衙関連集落」「公的性格をもつ集落」「官衙的遺跡」などの関連遺跡についての地名表や発掘調査報告書や論文の文献目録を完成させた。その遺跡数は200例を超える。検討すべき資料数が膨大になり、図面等の整理がまだ完了していないが、資料批判に耐え得ない事例を除き、個々の遺跡の検討により、郡衙より下部の「末端官衙群」をほぼ抽出することができ、資料群のおよその全体像をつかむことができた。これにより、末端官衙の遺構・遺物の分析方法自体が十分確立していない状況であることが明確となり、今後の課題を整理する事ができた。郷関係官衙についての研究には、郷段階に郷家と呼ばれた官衙施設があるとする議論とそれに否定的な議論とがあるが、前者からは、郷長・里長らの居宅に付随する形で造営されていたとする説が提示されている。しかし、これには郷家と豪族の居宅とをどう区別するかという方法論的問題点が残されている。郷家とされる具体的な遺跡事例を検討した結果、それらは墨書土器や郡符木簡のあり方などからみて、郡衙の出先施設や本来官衙施設として造営されたものではなく、官衙機能を付与された補完的な施設として位置づけるのが妥当であるいう見通しを得ている。郷衙論の考古学的な検証作業は、文献史学で有力な郷長を村落首長とみる首長制論の検討作業にも密接に関わるという問題の所在も明らかになり、従来の首長制論批判にも踏み込みうる視点も得ることができた。
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