1.青銅武器形祭器の時間的・空間的変化の分析を進め、日本独自の青銅武器形祭器の出現の様相を明確にした。中国・四国・近畿地方では、武器形木製品・石製品による祭祀を直接の祖形として、武器形青銅器祭祀が自生したが、北部九州の中心的地域では非中心的地域からの導入で、背後にはこの地域の文化的地盤沈下がある。 2.島根県出雲地域における青銅製祭器を用いての集団祭祀の消長を追跡した。中細形銅剣c類の、型式としての実態、他形式との関係、製作時期、埋納時期、製作地、原料の由来、といった基礎的問題をほぼ解決した。当該地域では弥生IV〜V期に四隅突出形墳丘墓という大規模墳丘墓が盛行するが、そこでの特定集団ないし特定個人に対する祭祀の進展過程を跡付け、中細形銅剣祭祀との相互関係を追跡した。 3.弥生時代の集団祭祀の動向は、集団祭祀を執行した首長層の政治的権力者としての成長と密接な関連を持つ。青銅祭器を用いる集団祭祀は、地域によっては、弥生中期段階で終息する。しかし北部九州と近畿で、弥生終末期にほぼ時を同じくして終息するのは、各集団内部での自律的契機によっては説明できない。西日本全体に渡る首長層の政治的連合の結成にともなって成立した、首長権継承儀礼を中核とした集団再生祈願儀礼が、あらたなる擬似的集団祭祀の座を占め得たからである。 4.弥生時代の墳墓祭祀・集落祭祀と、古墳時代の支配者層の墳墓祭祀、豪族居館・一般集落における祭祀などを比較し、社会全体の構造変化や、祭祀を担った集団間の政治的・文化的関係の変化と連動させて解明する作業、あるいは国家形成期のような社会の大きな変動期における宗教の機能と変容についての比較研究には、追求が中途の点もあり、今後さらなる研究の展開が必要である。
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