18世紀鋼板は、日本文法学にとって画期をなす時期である。一括して旧派と称せられる『手爾波大概抄』『姉小路式』『春樹顕秘抄』などは、かかへ、とまり、おさへ、つめ、はねなどの係り受けの概念を、より広い現象の中に求め、多くの證歌をあげて説明することへと展開した。文構造への視野が漠として、文法論としての体系性を欠くその態度は、また用例の観察においても品詞論的に正確とは言えない。18世紀後半は、それらへの批判と共に、それらを承けつつ構造的な捉え方へと進化した時期であった。 本年度は、その出発に位置しつつ、まだ多分に旧派的な傾向ももつ『てには網引網』を中心に、そこから『あゆひ抄』『詩の玉緒』の論述のあり方を展望する討議を行った。その検討の中で、『てには網引網』を転換点とする諸術語の概念的な進化や、新しい概念の成立を跡づけすることができた。 その一方で、本年度は代表者内田賢徳が、漢語文典との比較に資すべく、漢語の語法の、殊に日本漢字文献でのそれの研究に努めた。しかし、この観点は漢語の用法についての広く深い素養を必要とし、その足がかかりの論文を執筆したに留まった。今後、字書などの分析を含めた比較の試みられるべき領域である。また分担者川端善明は、文の具体的な形式についての研究を踏まえ、上代日本語の歌の中に、独特の連体形終止の形式を見いだし、上代日本語の文構造の中に位置づけた。
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