明末清初の俗文学においては、小説と戯曲の両面で活躍した人が多く、同一題材を小説にし、あるいは戯曲にする。また、小説を戯曲化したり、逆に、戯曲を小説したりすることが多くなされた。小説「金瓶梅」と関係すると思われる戯曲に、「宝創記」「鳴鳳記」「表忠記」の三曲があるが、この三作品は、すべて中央の大官による専権護国がテーマである点で共通する。中でも「鳴鳳記」と「表忠記」は、直接嘉靖朝の大官厳嵩の横暴とそれに身を賭して反対する楊継盛から官僚達の戦いを活写する歴史劇である。「鳴鳳記」も「金瓶梅」も、久しく王世貞ないしその門人による作とされ、また「表忠記」は、「続金瓶梅」と同じく丁耀元による作である。丁耀元は、「金瓶梅」の続作で「金瓶梅」と同じ作者の手になる小説「玉嬌麗」の稿本を所持していたとされる丘志充と同郷であり、その息子とは無二の親友であった。また嘉靖の正義漢楊継盛には深く敬慕の念を有していた。彼の書いた「続金瓶梅」は、「玉嬌麗」を参考にして書かれた可能性があり、また、同じ彼の「表忠記」は、正に楊継盛の活躍を描く歴史劇であった。惜しいことに、「玉嬌麗」は、夙に散俟して今に伝わらないので、その詳細は不明だがこの作品は、作中において南宋初と明の嘉靖年間とが二重写しとなっている「借古喩今」の作風をもったものであった可能性が高い。従って、この小説のもとになった「金瓶梅」も基本的には、話の時代背景を一応北宋末にしているものの、実際には、明代のことを描く「借古喩今」の作品であったと推察される。 本研究遂行者(荒木)は、「金瓶梅」と楊継盛-小説と戯曲との関係から見た-という論文において、小説と戯曲、また原作と続作との関係から「金瓶梅」に実際に投影された時代を探り、それは、明の嘉靖年間だろうと結論したが、もとより、まだ未解決の問題も少なくない。更に研究を続行したい。
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