マ-ロウの悲劇『パリの大虐殺』には有名な論理学者ペトルス・ラムスが登場し、聖バ-ソロミュー事件の首謀者ギュイーズ公と哲学論議を交わしながら殺されてゆく、このラムス登場の場面は、従来は「全て不必要な哲学談議」、「奇妙にアカデミックな幕間狂言」といって非難されることが多かったが、最近は「劇的な緊張を高める不可欠な場面」であり、左右の極端な思想に対抗して人間価値を護る、劇全体の「焦点」として好意的に評価されるようになった。 いずれにせよ、ギュイーズ公のラムス批判は、次の二点において、カトリックの立場からするラムスとその弟子たちに対する非難を要約している。すなわち、ラムス主義者たちが唱える「二分法」と、証言に拠く論議はinartificialである、という主張である。 前者は、スコラ哲学の崩壊後において、明晰判明知を求める哲学の新傾向に符合し、後者は、啓示神学のためにその論理的根拠を提供しようとする主張である、「信仰の論理」を確立しようとするこの努力は、中世の普遍論争に始まって近代のカントにまで継承されるものであり、論敵が、ラムス主義の最も重要な特長を正確に見抜いている点が興味ぶかい。 ともあれ、マ-ロウは、ロンドンの一般大衆よりもケンブリッジの学者を対象にして創作したかのようであり、ラムスの造型に自己の自伝的要素を投入している。エリザベス朝の知識人にとって、ラムスの影響が如何に広範で深刻であったかが分かる。
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