本研究は、屈折形態論に関してPinkerらが提案している規則形と不規則形との明確な区別が派生形態論にも成り立つかどうかを考察することを目的としたものである。Pinkerらによれば、屈折形態論における規則形はデフォルトで適用される規則によって生成されるのに対して、不規則形は連想記憶(associative memory)の中にリストされ、それら既存の語との類似性に基づいて、不規則形の新語が時に、類推(analogy)によって拡張的に得られることがあるという。これは、屈折形に規則形と不規則形との質的な区別をせず、規則の存在を一切認めないコネクショニストらの主張と真っ向から対立するものである。 本研究ではまず、ある意味概念を表す複数の派生接辞の中に、屈折形態論の場合同様、デフォルト接辞が存在する場合があることを指摘した。例えば、抽象名詞を派生する英語の-nessや日本語の「-さ」などである。本研究で最も詳細に検討したのは日英語の動作主(agent)を表す派生名詞であり、英語ではデフォルト接辞として-erがあるが、日本語の動作主を表す接尾辞にはそのようなデフォルト接辞は存在しないことを述べた。さらに、日本語の動作主を表す派生名詞は、「-者(しゃ)」「-人(にん)」「-手(て)」のようにかなり生産的な接尾辞の付いた語(例:希望者、案内人、読み手)でさえも、語種(和語、漢語、外来語、擬声語)の制約に従うことを指摘した。語種は少なくとも部分的には音韻的な特徴によって互いに区別されると考えられ、したがって、日本語で新しく動作主名詞が形成されるときには規則によってではなく、メンタル・レキシコンにリストされている既存の動作主名詞との音韻的な類似に基づいて類推によって得られる、と結論できると思われる。このことをさらに証拠付けるため、ノンセンス(nonsense)語を用いた実験を行うことを計画中である。
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