欽察汗国の問題に関する適当な資料や研究書は極めて少なく、多くはソヴエト期以前の古いものであって、既に稀覯に属するものが多い。現代の専門家は若干存在するが、ほとんどは西欧のものであって、ソヴエトにおける研究はほとんど無に等しい印象であったが、どうして研究書が少ないのかという問題については、当初その理由が分からなかった。したがって、とりあえずどのような研究所あるいは史料が存在し、かつ過去において刊行されたかを、たとえ書名なりとも知ることができれば、後の検索に役立つであろうと思われた。ソヴエトが崩壊し、ロシア人にすら、ほとんど知られていなかった研究、史料、すでに稀覯となっていた研究などの復刻、盛んに行われるようになり、新たな研究もさまざまな形で発表されるようになってきた。それも以前には手に入れることのできなかった、モルドヴァやカザンのような、比較的地方で出版され、発行部数も極めて制限されたものである。それに伴ってソヴィエト期にこの研究が意図的に妨害され、弾圧されたことも分かってきた。最初の計画は、若干の解題を附した文献目録を印刷に附すことであったが、文献が今後急速に増える見通しなので、頒布は少部数にとどめ、なお一層の充実と課題の拡充をはかることにした。その上で機会を得て研究者の利用できる形にしたいと考えている、現代形になったものは添付した『欽察汗国文献目録』(仮称)である。 本稿の目的は、専ら欽察汗国の研究をするための基礎的な準備をすることにある。従ってこれはチンギスハンの版図の全てに亘るものではない、若干収録したものは、欽察汗国の歴史と関連してその予備知識として必要と考えた範囲に留まっている。これは、ペルシア語文献、漢語文献、豪古語あるいはウイグル語文献等が、既に本邦においても夥しい研究があるからであり、直接に欽察汗国に関連するものが少ないからでもある。
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