今年度は夏目漱石の「夢十夜」の日本語原文および英訳を検討した。英訳はチャールズ・E・タトル社刊の翻訳(アイコ・イト-&グレアム・ウィルソン訳、1974年)を参照したが、来年度さらに別の英訳をも参照する予定である。また本年度は韓国人大学院生の協力を得て「夢十夜」の韓国語訳も一部検討することができた。その成果の一部は裏に記した編著に収録された単独論文「テクストを読むということについて」に発表されている。 そこにおける大きな論点の一つは、日本語、英語ナラティヴにおける話者の視点の移動の問題であった。その点について日本語と英語はきわめて隔たっていることが明らかとなった。また現在の段階では、日本語と韓国語のナラティヴの視点移動構造はきわめて類似しているものと思われる。次年度はその他の言語の母国語話者の協力を得て、本研究を推進する。特に中国語ナラティヴにおける話者の視点の移動についても論じてみるつもりである。 そうしたナラティヴ構造の差異を明らかにすることによって、初めて日本文学の構造が明確にされ、その発信可能性が確定されるものと思われる。次年度は夏目漱石の他作品の英訳をも検討し、夏目漱石における私語りの構造、また語りにおける時間の問題をも検討するつもりである。また日本語ナラティヴと概括しても、それには大きな個人差があることは明白であり、漱石だけでなく、日本自然主義作家(岩野泡鳴、田山花袋等)の作品におけるナラティヴ構造を明確化し、それと漱石における構造を比較することで、より詳細な日本文学における語りの様相を明らかにするつもりである。
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