Thucydides(以下Thuc)の文は演説家Antiphon(以下Ant)の文と非常に似ていて、Antの文は聞いただけで分かったはずだから、Thucの文もさしたる困難なしに分かったと考えられるという説に対して、Antの文はThucの文にそれほど似ていないと証明するために、昨年度は両者のペリオドスの構造が全く違うことを示したあとを受けて、今年度は両者の語彙とその用法を調査研究することにより、昨年度の結論をさらに裏付けした。比較の対象とした語彙は(1)-sis名詞、(2)冠詞+中性形容詞(または分詞)、(3)冠詞+動詞の不定法であり、調査の結果a)これらの使用頻度において、AntはThucよりかなり少ないが、他の著者・演説家に比べればかなり多い、すなわち彼の文はこの点でThucに多少は似ていると言える。b)しかしそれらの語彙の用法においては、両者に共通する点は皆無で、とくにAntのは単純明快だが、Thucのは解説をしてもらわなければ分からない点を多く含んである。ゆえにThucの文はAntに非常に似ているとは言えない。ゆえにAntを論拠にして、Thucの文も聞いただけで分かったはずだとは言えない。 一方この当時、著作の最初の発表の仕方は、読んで聞かせるという方法にのみよっていたということは、否定し得ない一般情勢である。とすれば上記の状況から、Thucの読者はかなり限られた数の、Thucになじんでいた人々であった、というのがここから引き出せる唯一の結論である。
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