W.ブラックストンの著作である『イングランド法釈義』全4巻(1765-69年)は、古典的コモン・ロ-の全体を概説したものとしてきわめて著名であるが、現在では我国はもちろん英米においても法学・歴史学の専用家によってすら通読されることはない。読まれることがあるとすれば、専ら19世紀イギリスの法改革のイデオローグとしてのJ.ベンタムによる激烈な賛意を示すか、あるいはその批判箇所の確認のためだけである。 本研究は、このように『釈義』の意義を低く見る学界動向への反省から出発し、ブラックストン法学の歴史的意義の再検討を行った。その結果、1、ブラックストンの『釈義』がイングランド法の原則の要約をなしたが故に、一九世紀の法改革がなされえたこと、2、『釈義』の包括性・完全性がイングランドではその後法典化の必要性を感じさせなかったこと、3、アメリカ合衆国がイングランドのコモン・ロ-を継受できたのも『釈義』の故であること、4、ブラックストンが初めて大学での法学教育を提案したこと、の四つの積極的評価ができるだけでなく、なによりも5、ブラックストンがイングランド法史上初めて手続を超えて実体法準則を総括的に描いたことにより、近代法思想に特徴的な実体法中心思考をイングランドに初めてもたらしたこと、を指摘した。従って、ブラックストンは、特に上述5の点から、ベンダム以後の法律家がほとんど例外なく非難してきたごとき単なる守旧主義者ではなく、むしろ古典的コモン・ロ-を完成したのみならず、正に英米法の近代化の出発点を画した偉大な法学者であったと、積極的・建設的に評価すべきであることを強く主張した。 このように新たな歴史的意義を与えられた『釈義』出現は、近代化の出発点とされる産業革命の前夜であった。しかし、この二者の具体的関連の追究は本研究の最終目的ではあったが、残念ながら、十全には果たせなかった。
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