〈古拙法から学問法へ〉の観点からヨーロッパ法の性格の変遷を問題とするについて本研究は11世紀に注目した。11世紀を追究することで、古拙法から学問法への変遷を媒介した文化要素をとりだし、全体として10世紀から13世紀にいたる法史・社会史上の中心時代を考察する視点が確保できた。 1 11世紀は10世紀に繋がる側面を有していた。これは神判のなかによく現われていた。神判が異教社会からキリスト教社会へと受け継がれていったのは、両社会の世界観に共通性があったことによる。〈法〉と密接に関連した〈真理〉観念が異教社会と中世初期キリスト教社会とで性格を等しくし、いずれにおいても人間とその周囲の諸力との、人間と神との調和的宇宙観に基礎をおいていた。 2 11世紀は12世紀に繋がっていく新しい側面をもっていた。それは〈神の平和〉運動に関わっていた。フランスにおける神の平和では依然、古来の贖罪システムが発動していた。これにたいし1083年のケルン大司教下の神の平和においては、平和の破壊にたいする制裁は〈社会からの非行者の排除〉の思想を土台にしていて、加害者と被害者との賠償による和解現象は背後に退いていた。 3 以上のように11世紀は法の展開の上で古さと新しさとを有していた。それは、裁判の開廷儀式というものを考えるうえで重要な視点となる。法における形式化、儀式化はおそらくこの時代あたりから始まってくる。形式とか儀式は古拙法そのものの特徴のような印象を受けるが、元来的には、そのときどきの人や社会のありかたを越えて古拙法を後代に伝えていくために必要な要素であった。その意味で、古拙法から学問法への変遷を媒介する役割をも果たしうるのである。この点については、今後適切な文書史料において実証する作業が残されている。
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