研究概要 |
これまでの調査を通じて、奈良県山辺郡都祁村吐山・友田・甲岡・来迎寺・針の5つの大字約4,000基の墓石の個票と配置図を作成し、コンピュータへのデータの入力を3分の2程度終了した。墓石の入力データの項目は、地区・(配置図の)地番・高さ・墓石の形(角柱・舟形など)・形態(個人墓・夫婦墓・家族墓など)・建立年・墓石への記載文字(戒名など)である。 また、吐山においては、明治18年から大正12年までの墓籍帳を収集しそのデータのコンピュータへの入力を実施中である。このほか、吐山の明治12年の戸籍帳と明治42年の人員帳のデータも入力を終えているので、これからデータの分析が行われることになる。 これまで明らかにされた資料のなかでは、次のことがほぼ実証されるだろう。 (1)家族墓(家墓)の形成は、この地区では大正期に入ってからであり、古い形態の墓ではないこと。 (2)墓の形態は、歴史的には「個人墓」「夫婦墓」から「家族墓」へと展開し、なおこれからの検討が必要であるが「子墓」の形成は18世紀末頃から建立されるようになる。 (3)明治政府は「伺い」に対しての指令及び明治17年の「墓地埋葬取締規則」を通じて「両墓制」を否定したが、この地域では「両墓制」が現在に至るまで存続している。 1995(平成7)年度においては、若干の補充調査を行うとともに、データの分析を行い、調査報告書をまとめる予定である。
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