本年度は、まずその前半において、1925年および1929年の憲法改正と法治主義の関係等について、後半においては、1970にいたる第2次大戦後の法治主義について、主として検討した。第一に、オーストリーの“Legalitatsprinzip"について定める連邦憲法18条は、1920年代に二度にわたって改正されたが、それらは法律と個別行為に関するものではなく、法律と命令の関係に関するものであった。そしてそこでは、一方で命令に対する法律の統制の強化が図られ(1925年改正)、他方、緊急時の暫定的命令が定められた(1929年改正)。これらを通して、オーストリーでは、法治行政という場合、まず法律と個別行為の関係が観念されること、それにもかかわらず、法律と個別行為の関係および法律と命令の関係は、1925年改正によって共通のものとなったことが、認識される。 第二に、この連邦憲法は、1933年3月5日以降に効力を失っ行ったが、1945年5月1日に復活する。そして、第二次大戦後のオーストリーにおける“Legalitatsprinzip"は、1960年代末までは、いずれかといえば、1920年代の原挽の貫徹の方向で推移した。すなわち、「すべての国家行政は、法律の根拠に基いてのみ行われ得る」と定めた連邦憲法18条1項における「すべての国家行政」には私経済行政も含まれ、また、法律の授推のみでなく、法律による行政の内容・手続きの規律も要請されたのである。 この時期、独墺の法治行政は、基本的には対稿的な展開を遂げたが、1960年代のドイツにおける全部留保説のように両者と接近せしめたものもみられた。しかし、両者の本値的接近は、1970年代以降と考えられ、その検討は、次年度(最終年度)の課題となる。
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