本研究は、オーストリー法治主義(Lega1itatsprinzip)のドイツ法治行政原理との比較法史的研究を通して、日本の法治行政原理の在り方を考えようとするものである。 立憲君主制時代、独墺は、法律の留保に関して侵害留保を採り、基本的には同質的な法治行治行政原理を採用していた。ただ、オーストリーにおいては、当時、法治行政原理の具体的内容を憲法白身で定めており、これが後に独墺の基本的な相違を生み出す一因となったと考えられる。 第一次大戦後、独墺は民主制憲法を採用したが、ドイツの法治行政論は、依然として侵害留保説を通説とした。これに対して、1920年のオーストリー連邦憲法は、その第18条第1項において「すべての国家行政は、法律の根拠に基いてのみ行使され得る。」と定め、徹底した法治行政原理を採用した。これは、法治行政原理の具体的内容を憲法で定めるという伝統にもとづき、立憲君主制から民主制への憲法原理の転換をそこに投影し、さらに憲法制定に関わったケルゼンの法理論の影響のもとに、成立したものということができよう。本条項は、法律による行政の授権のみならず、法律による行政の内容的・手続的覊束をも要求するものと解されたのである。 ナチス期に効力を失った連邦憲法は、1945年に、1929年の本文において復活した。その第18条第1項は、1960年代までは法治行政原理徹底の方向で解釈されたが、1970年代に入ると個別的・具体的法治行政論が展開し、現代行政への柔軟な対応を示している。他方ドイツにおいては、1970年代以降、本質性理論が展開し、法治行政原理を強化した。かくて独墺の法治行政論には、対称的展開の後、接近がみられるのである。この動向は、日本においても参照されるべきであろう。
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