本年は、マルティン・クリーレのヘルメノイティーク、サヴィニ-の法の生成論、フィスの解釈共同体論を中心として、文献購読を行ってきた。このほか、国内外の研究者との討論も進めた結果、近時展開されている「議論」論に基づく法の説得の構造が、実は三段論法の逆展開(結論-小前提-大前提に至る構造)にあることが明らかとなりつつある。したがって、このような一見新しい「議論」論の構造は、内容的には法律学方法論をそれほど大きく変容させるものでないということができるであろう。 しかし、伝統的な概念法学的三段論法にせよ、それが価値判断排除という意味における法律学の客観性を担保するものとして議論されていた側面は否定できない。そうであるとすれば、単純な三段論法排除論は、法律学の主観性を全面に押し出すという機能も営みかねないのである。そこで、法律学における没価値性がどこまで確保しうるのかを検討する必要があり、現在その作業に従事中である。 現在我々に所与のものとして与えられている法は、ローマ以来の法の生成が一つの権利の体系として帰結したものに他ならない。そして、この権利の体系は、現在なお生成、変動中なのである。このような法律学の骨格に関わるような法理論の追求においては、一つのミッシング・リングの輪を埋めるべく、必然的な形の法構造を打ち立てざるをえないような場合が存在し、権利の体系論の基本構造に関わる法理論は、権利の体系に内在する論理によって形成され、論者の主観を排除した客観性を有することになる。 このような種類の客観性と、いわゆる科学主義的な事実論の次元での客観性とをどのように結び付けていくのか、という問題までが、今年度の仕事として到達したところである。
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