沖縄の経済社会は、戦後27年間、わが国の諸制度の埒外におかれ、他府県とは異なる独自の発展過程を歩んできた。戦後の沖縄の貿易は、実質的には自由貿易であったが、沖縄経済の拡大並びに外国貿易の発展にとって必要とされる場合は、貿易制限をすることが可能であった。しかし、産業振興のための具体的な政策が策定されなかったため、有機的に産業振興策と貿易拡大策の連結がなされず、脆弱な産業構造を形成するに至った。 戦後急速に成長した大国になった日本経済は、沖縄はもとよりアジアの新興工業国にとって、最大の需要吸収者であった。巨大な日本市場を利用して、アジア諸国は輸出指向型工業化を成功させたが、沖縄は工業化に失敗し、消費型経済を形成してきた。その差違は、域内産業を育成・振興する過程で貿易制限措置ないし保護貿易政策を採ることができたかどうか、の差に帰着する。沖縄には、産業の芽を育てる制度的枠組みがなかったのである。 ところで、沖縄は1972年の本土復帰によって、米国施政権下の制度条件へ移行した。沖縄経済が、復帰後、辿ってきた発展経路は、本則への移行過程の経路であった。貿易制度に関して言えば、この移行過程は制度上の諸規制が強化される過程である。沖縄にとっては、復帰前に比べ各種内国税や関税等が強化され、より規制が強く参入・輸入障壁の高い制度へ移行する過程であった。 復帰後、自由貿易地域制度が国内唯一の制度として沖縄に適用され、沖縄経済の自立化への有効な具体的戦略が求められている。成長センターとしてのアジアの需要吸収力を活用して、沖縄の産業・貿易を振興させるためには、現存の制度を前提にして弾力的運用を図る方策と時限立法的特別措置を組合せて、有機的に総合的貿易振興策を展開することが重要である。
|