石油危機に端を発する資源・総合安全保障外交の展開を背景に、外務大臣の初のアフリカ訪問などのなされた1970年代が、日本のアフリカ外交にとって現在につらなるさまざまな課題が提示された転換点であったことは、ほぼ明確なようである。それは、アフリカ諸国にとっては、政治的指針の提示の回避と経済優先(政経分離)、ODAの増大にもかかわらず例えばスカンジナビア諸国などに比べた場合の存在感の薄さ、という日本のイメージが形成された時代でもあった。 以上のような特質は、当時の雑誌、新聞、またアフリカ協会やJICAなどの関係機関の資料からはある程度まで描きえたものの、外交政策の詳細な決定過程は外交資料が未公表なことから予想以上に知ることは困難であった。その一方、欧米やアフリカの研究者による日本のアフリカ政策についての研究の多くが、70年代以降に関心が集中していることも一つの知見として得ることができた。 以上のような資料的制約の下で今後の研究方向としては、アフリカに地域を限らず日本の援助政策全体の展開の中での70年代以降の特質を把握することに努めるとともに、研究対象を外国の側のアフリカを中心とする日本援助研究にまで広げて、アフリカ諸国および他の援助国側での日本の援助、アフリカ政策観がどのように形成されたかについても分析をしていきたい。
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