日本の援助政策の中でアフリカがかつてなく比重を高めていることを象徴するような出来事が、1996年に起きている。まず10月の国連総会で、日本はインドと外交戦のすえに予想外の大差で安保理非常任理事国の選出された。この背景には、8月、9月とアフリカ諸国代表を招いた会議の開催など、総会議席数を占めるアフリカ諸国に対する活発な働きかけがあった。また刊行された96年版ODA白書では、アフリカ援助が援助政策の中での重点課題の一つとして言及され、98年には第二回アフリカ開発会議を東京で開催する方針が明らかにされた。 70年代以降の日本のアフリカ援助政策の歴史を通じて考えた場合、日本は90年代に入ってそれまでとは異なる質的段階に入ってきているといってよいだろう。その背景には、世界銀行の構造調整政策の失敗を背景にアフリカの窮乏化が進み、援助大国となった日本の対象地域の中でもアフリカの比重が高まらざるをえなかったという背景があるものの、日本自身が積極的にアフリカを重視していることがある。それは、日本の経済関係に占めるアフリカの比重が高まったからではなく、国際政治における日本の地位を高めようとする日本政府にとって、国際社会へのコミットメントを計る一つも物差しとしてアフリカが位置付けられたからである。 したがって、日本のアフリカ援助の評価は、日本-アフリカ経済関係だけに注目し諸要因を分析することによってはなされえず、日本なりのグローバル戦略の分析が不可欠な条件をなすのである。
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