サハラ以南アフリカは、日本の貿易相手としては輸出、輸入とも総額の2%以下、直接投資においては1%以下と、その比率はきわめて低い。だが、世界一の援助供与国となった日本のODAにおいて、アフリカは12%以上の比率を占めアジアに次ぐ対象地域となっている。このことは、短期的経済利益を目的に日本の途上国援助は行われているといわれる通説が必ずしも妥当しないことを示している。 日本のアフリカ援助の歴史は、70年代における二度のオイルショックと、80年代半ば以降のアフリカの圧力を転機に分けられる。オイルショックによってアラブ以外の資源供給先としてアフリカに注目した日本政府は、初めて外務大臣をアフリカ訪問に送り出す一方、アフリカ援助を増大させた。また80年代以降、双子の赤字に悩むアメリカの圧力を受けた日本は、ODAを貿易黒字削減対策の一として位置付けることになり、アジア以外の対象地域としてアフリカの比重も増すことになった。 90年代にはいると、日本の援助担当者は世界銀行の構造調整政策に対する批判を強めるとともに、アジア型モデルの提唱やODA大綱の制定など日本独自の援助理念の模索を始めるようになった。こうした中で絶対的な窮乏化の進んだアフリカは援助対象地域のなかでその比重をさらに高め、くわえて日本はモザンビ-クやルワンダにおけるPKOの活動など政治的なコミットメンも深めた。90年代にはいり日本の援助政策がより積極的、政勢的になってきているなかで、アフリカはその比重をいっそう高めているのである。
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