本研究の目的は、戦前における日英合弁兵器鉄鋼会社・日本製鋼所の発展過程を対象とし、とくに英国側株主(ヴィッカーズ社及びアームストロング社)との関係に考慮を払いながら、同社の複雑な経営戦略を解明することにあった。 調査・分析の結果、第1次大戦前の「創業期」(1907〜14年)については、英国側出資者両社の日本製鋼所経営への関与は、予期以上に大きかったことが明きらかとなった。 すなわち、まず工場操業開始以前の「創立期」(1907〜10年)のトップマネジメントについては、英国側取締役・監査役は、「創立契約書」に基づき日本在住の特定の代理人(Proxy)を指定して日本製鋼所重役会に常時出席させていただけでなく、代理人が各種委員会メンバーになったり、提案を行うなど重要な意志決定に参画していた。英国側重役代理人は電報・書状等で英本国と連絡をとり、英本国では英国側取締役会が随時開催されて英国側両社の意見交換・調整が行われるとともに、その結果が代理人に伝えられていた。 引き続く山内万寿治海軍中将の会長時代(1910〜13年)においては、山内会長は、日本側株主(北海道炭砿汽船)と英国側株主の利害を調整すべく「中立取締役」として選出されており、当時日本製鋼所が直面した重要課題においてその調整的役割が期待されたものの、必ずしも両者の関係調整には十分成功したとは言えなかった。 当初の研究計画では、第1次大戦期についても本格的に分析する予定であったが、資料収集・分析に予想外に手間取り、英国側株主の日本製鋼所経営への関与が後退していくことを展望的に示し得たに止まった。これを含めて残された課題に現在鋭意取り組んでいる。 なお、本研究開始前から手掛けていた関連研究「戦後における日本製鋼所・英国側株主の在日財産回復問題」も平成6年度早期にまとめてある(刊行は平成6年度末)。
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