今年度は中国人の資料の分析を中心に、前年度行った朝鮮人労働者の検討を追加的に行った。本研究で新たに得られた知見は次の通りである。 炭坑・鉱山での朝鮮人労働者の使役の根元的な矛盾は、戦時期にも朝鮮人の対日渡航熱と時局産業忌避の感情が併存していたことにあった。そのため、「移入」された朝鮮人労働者の中には募集を日本への渡航の手段として利用するものが多く含まれるようになり、事業場の労務管理に困難をもたらすことになった。こうした事態への対処において「使用回避」型、「労働力育成」型、「労働力使用」型の3類型の労務管理が形成されたが、いずれも事態の解決に成功しなかった。「官斡旋」による訓練の重視はこれへの対応であったが、それも矛盾の根本的解決とはなりようがなく、徴用が実施された1944年にはすでに労務管理が機能し得る余地は少なくなっていた。朝鮮人労働者労務管理の欠陥は彼らの労働力としての育成が民族文化の否定と結び付けられたところにあった。ただし、重工業においては、「移入」朝鮮人労働者の質の高さから彼らの労働力としての積極的使用がなされた。 一方、中国人の使用における最大の困難は、共産軍の俘虜を中心としたことからくる労働力としての質の劣悪さにあった。彼らは病傷者が多く、それが異常に高い死亡率の一因となった。また使用者は彼らの反乱の恐怖に恐れおののかなければならなかった。そのため、当初存在した彼らの有用な労働力としての育成という構想は現実性を持ち得ず、中国人労務管理は軍隊の秩序を利用し、中国人幹部の支配力に依存した間接的なものとなった。彼らの自発的な労働意欲は求めようもなく、「アジア解放」思想の注入による統合を試みるがそれが成功する可能性はもちろんなかった。ただし、土建と鉱山とでは後者の方が労働環境が整っているという格差がみられた。
|