本研究は、戦時期に大量の朝鮮人労働者、中国人を使用した日本企業による彼らの管理の実態を解明した実証研究である。本研究で得られた主な知見は以下の通りである。 1、朝鮮人労働者の日本への「送出」のあり方を「集団募集」、「官斡旋」、「徴用」の3段階でとらえ、段階を経るに連れて強制度が強まったとする通念は疑わしい。朝鮮の現地官僚機構の優位性と募集活動のそれへの全面的依存は「集団募集」の当初からみられたのであり、その結果生じた「近代的雇用関係」の前提の欠如が事業者による朝鮮人労働者管理の困難の起点となった。「官斡旋」はこうした問題への対応としての位置を持ったが、問題の根本的解決はなし得ず、権力的対応により問題の圧殺を図った「徴用」ももはや機能する余地が存在しなかった。 2、重工業に「移入」された朝鮮人労働者は鉱山・炭鉱のそれより「質」的に良く、それを反映して管理のあり方も両者の間で相違がみられた。後者では事業者により「労働力育成型」、「労働力使用型」、「使用回避型」の3類型が見られたが、いずれにおいても朝鮮人労働者の評価は低く、彼らの民族性の否定が労働力としての育成の前提とされた。前者では彼らが労働力として積極的・肯定的に評価され、教育に力が入れられた。 3、有用な中国人労働者の導入とその育成という当初の構想の実現可能性は存在せず、日本への「送出」週程での労働力としての劣悪化の著しい進行により事業者は期待を裏切られることとなった。彼らに対しては管理方法の基準が政府により統一的に設定され、民族性の尊重と軍隊的秩序を利用した間接管理が採用された。しかし、その労働力的価値は評価し得るほどのものとはなり得ず、事業者は彼らの反抗の恐怖におびえていた。
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