本研究は、日本的雇用関係の形成史を〈ホワイトカラーからブルーカラへ〉をキーワードとして再構成する一つの試みである。このキーワードには二つの意味がこめられている。第1に、いわゆる日本的な雇用慣行はもともとホワイトカラー層にみられた雇用関係がブルーカラー労働者にまで拡延することによって生じた、とみることができる。小池和男は、日本と欧米諸国のマクロ・データの吟味にもとづいて、日本の雇用慣行の特質をブルーカラー労働者の〈ホワイトカラー化〉として定式化しているが、それは正しく日本における雇用関係の歴史的進化の経験に依存したものであった。 第2に、このような過程は同時にホワイトカラーの〈ブルーカラー化〉とも呼ぶべき局面をともなっていた。〈職員〉と〈職工〉という一対の概念にかわって〈従業員〉という単一のカテゴリーが歴史に現れたことの背景には、平等化を促す強い入力が働いたとみてよいが、その現実の過程は実質賃金が極端に低下するなかで貧しさを共に分ち合うという形で進められたのである。 1960年代にはこれとは文脈が異なる文字通りのホワイトカラーの〈ブルーカラー化〉が進行した。高度成長の進展に伴う人手不足の激化と急激な高校進学率の上昇を背景に、これまで下級のホワイトカラー職に採用されていた高校の新卒者がブルーカラー労働者に雇い入れられるようになったからである。こうした中卒者から高卒者へのシフトは、戦前のホワイトカラー層の採用慣行を大衆労働力のリクルートにまで拡延するという結果をもたらし、企業と学校の結びつきを基盤とする今日の日本社会に特徴的な定期採用システムが確立する画期となった。
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