宮崎県都城市貴船寺遺跡の六道銭資料の分類・整理作業を終え、ここは7枚セットのものが多く、全国でも例外的な鹿児島型であることが確認できた。従って、7枚セットの六道銭は島津氏領内において一般的な副葬形態であると推定できる。福岡県鋤先遺跡で出土した六道銭には米粒が付着したものが二例あり、X線撮影で銭銘を読み取った結果、寛永通宝であることが確認でき、死者に米を持たせる習俗が近世に存在していたことを確認できた。また、福岡県北九州市宗玄寺跡遺跡で、九州では出土数の少ない念仏銭だけのセットや、金貨を副葬した墓が存在し、今までに調査した遺跡ではみられなかった墓が確認できた。ここは小笠原藩上級武士階級の菩提寺であり、埋葬されている階層が特定できる貴重な遺跡である。島根県松江市黒田畦遺跡では、小型の無文銭だけが副葬された墓が存在し、山陰における中世六道銭の一端を知ることができた。宮崎県高千穂町でも小型無文銭だけの備蓄銭を確認しており、沖縄県に多い鳩目銭とよばれる無文銭との関係を、今後検討していかなければならない。 福岡県黒木町の備蓄銭については調査が終了し、総数の99.9%が洪武通宝であるという、全国でも唯一の例であることが確認できた。その一部についてはグロー放電質量分析を実施し、金属組成では一まとまりのグループとして捉えることができ、明朝政府が鋳造した本銭ではない可能性が高いという結果を得られた。従って、堺市や鎌倉市で銭貨の鋳型が出土したことと関連して、黒木町の備蓄銭は中世における模鋳の実態を究明できる貴通宝を最新銭とする15世紀中期以降の備蓄銭であることが確認できた。
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