沖縄県の出土銭貨研究で、特徴的事実が三点明らかになった。まず、本土では中世の遺構から出土する無文銭が、沖縄では近世の遺構から出土し、タイプもさまざまで、多数出土するということである。次に、今までは沖縄に出土しなかった琉球銭の大世通宝・世高通宝・金円世宝が、首里城・佐慶グスク・浦添城などから、徐々に出土し始めたということである。沖縄以外での発見例が多かったことから、対外決済用の銭貨と考えられているが、今後の出土に注目しなければならない。第三に、南西諸島では、開元通宝が7世紀以降の貝塚などから出土するということである。貨幣経済が浸透していない時期に、開元通宝がはたしていた役割を解明することは、今後の重要なテーマである。 長崎県では、原城址から現在までのところ18個の慶長豆枝板銀が出土しており、銀貨研究上重要な発見となった。また、長崎市や原城址から、加治木洪武や叶手元祐とよばれている日本製銭貨が出土したことによって、これらの銭貨は17世紀前期に九州で鋳造されていたことが実証されつつある。 福岡県九州市本城から出土した南宋銭の金属組成を、ICP法による分析した結果、錫の含有量が少ないという事実が判明した。これは従来いわれてきた中国精銭が銅・鉛・錫の合金であるということと矛盾する結果であり、大きな問題点を指摘できた。 京都市から銭が鋳型の出土し、これは堺や鎌倉から出土したものよりやや古い時期のものであり、中世においては各地で模鋳銭がさかんにつくられていた実態が明らかになりつつある。 石川県金沢市木ノ新保遺跡から出土した17世紀前半の六道銭が北宋銭中心であることから、この地方の流通銭貨は畿内型であると確認できた。 島根県太田市出土備蓄銭については調査を終了し、宣徳通宝を最新銭とし、15世紀後半から16世紀初期に埋められたものであることを確認できた。
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