故田中吉太郎家は代々「近江屋吉兵衛」を襲名してきた大工の家系である。田中家に多数所蔵されている普請関係文書のうち、文化・文政年間から明治初年にいたる約80年間にわたる「大福工数帳」約20冊には、出入り先と仕事の内容、職人の名前と出面、材料の種類・数量・規格などが記録されており、主として町場を仕事場としていた近江屋の営業活動の実態を明らかにすることができる。また約60点の町屋古図は、間取りのほかに、構造、各種の寸法、大工の人工数などが記載されている。それらのうち半数は18世紀半ばに作成されたもので、天明8年(1788)の京都大火によって遺構が存在市内時期における京都町屋の建築的構成を復原的に考察することができる貴重な素材である。 本年度の数点の「大福工数帳」と町屋古図のほぼすべてを翻刻した。その成果を公表するにはいたっていないが、平成7年度中にはこれまでの調査研究によって得られた成果を公刊する予定-『近世京都の町・町屋・町屋大工』(仮題)、思文閣出版-で、引き続き作業を継続している。 主な内容は、近世町屋の形成過程、近世町屋の建築構成、町屋大工の営業形態、町屋の生産システム、町屋大工の組織と技術、などについてであり、このほかに資料編として本研究によって翻刻した町屋古図を原図写真とともに掲載し、それぞれに解説を加える予定である。
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