教会堂のもつ意味を重視したプロテスタント神学者パウル・ティリッヒは多数の論文を発表し、講演を行っているが、彼の建築論・芸術論の全体を明らかにするために、本年度も三つの研究報告を発表した。まず、ティリッヒの多様な芸術類型論を大別して四つに分けられることを示したが、そこには様式類型に関するものと、レベルあるいは次元に関するもののほかに芸術の様式要素にかかわる分類も含まれている。これらを通観して注目されるのは、(1)芸術が宗教的であるためには、それが宗教的内容を扱う必要はない。通常宗教的とよばれている種類の芸術であろうと通常俗的とよばれている種類の芸術であろうと芸術は宗教的でありうる。究極的な意味と存在の経験がそれにおいて表現されているかぎりは、それは宗教的である。(2)彼は、その主題(内容)が宗教的であるか否かにかかわらずとりわけ〈表現主義的〉ないしは〈表現的〉な芸術に、真の宗教芸術の本道を見いだしている。ここで〈表現主義〉とは通常それが狭義に意味しているような、20世紀初期のドイツ表現主義をはるかに超えたきわめて広義の概念として〈表現的〉芸術を意味している。彼にとっては表現主義芸術において表現されるのは芸術家の感情的な主観性ではなく、そこでは事物の表層を突破してリアリティーの深層があらわにされるのである。また、ティリッヒにおけるシンボルの意味と宗教芸術におけるその働きを論じた。シンボルはわれわれの深層からたち現われてくるのであり、その集団やその人がシンボルのもつ生きた力を体験することのできるかぎりにおいてのみそれは生きているのであって、この力がなくなると、それはその機能を失って死ぬ、というのである。なお、ティリッヒ研究と平行して牧師や建築家との議論も継続しているが、その成果を直接的に発表するには至っていない
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