本研究では地域の複合構造の中における「子どもを持つこと-子どもを産み育てる社会-の意味とその歴史的変化」を地域社会と個々人との人生との両面から探ることを目的として行われた。具体的には、過疎化、少子化が進行する四国地方の漁師町をフィールドワーク地として、可能な限り地域に密着し、昭和初期から現在までに、(1)第1次産業の衰退に伴い、当該地域の人々はいかなる社会変化に直面し、それらは子どもを持つことに直接的・間接的にどのような影響を与えてきたか、(2)こうした社会変化のもとで、人々はどのような子産み・子育てを行ってきたのかを、ライフヒストリーを通じて探った。 その結果、マクロな社会変化として、とくに昭和30年代から昭和50年代の短期間に次のような社会変化を経験していた。第1に既存の漁業のあり方が大きく変化し漁業経営の個人化が起こり、同時期に女性たちは賃労働者として働く場が設けられ、現金収入を得るようになった。第2に出産の施設化が促進され、自宅分娩から施設分娩への移行が急激に進んだ。その結果、助産を担ってきた、地域に密着した助産婦たちは活躍場を失った。第3に子育て・子育ちの慣習である、若衆宿やガキ大将集団などが消滅していった。 こうしたマクロな変化は個人の生活にも深く影響を与えた。個々の生活においても(1)終戦後から、出産子ども数が減少した。(2)漁師継承者として、男児を産むことが強く期待されていた地域であったが、男児願望もじょじょに減少し、また家業の継承を親が子どもに期待しなくなり、むしろ子どもが定収入のある職業に就くことが期待されるよになった。とその結果、近年は「教育投資」が重視されるようになった。 以上の具体的事実をもとに、今後はマクロな社会変化の事実とミクロな個人生活のありようを立体構成し、子ども持つ意味の変容と、少産化の複数な要因を言及する。
|