研究概要 |
情報処理技術発展の史的構造の分析として、戦後日本におけるコンピュータ発展を一つの典型として分析した。戦後、とくに1950年代以降政府は、コンピュータ産業育成として(1)特許政策、(2)補助金や財政投融資等の財政支援、(3)税制優遇、(4)市場確保のための日本電子計算機会社JECC設立などを通じて、強力なバックアップをしてきた。しかし、政府の政策的意図は、ハードウエア産業としてのコンピュータ育成に限定され、IBM650,IBM360,IBM370などと次々にIBMの特定機種にキャッチアップするものであった。そして最初のキャッチアップのためのプロジェクトは完全に失敗したが、その後は何とか数年遅れてIBM対応機種を日本企業が制作できるようになったと言われる。しかし、実際はある機種にターゲットを絞って追いつくとIBMはもう次の機種の開発をしているという鼬ごっこてきな追随路線で、しかもコンピュータのダウンさいず化が始まったときは、また日米間の格差は開いたのである。こうしたやり方は、情報技術を体系的にとらえた政策ではなかった。60年代には電電公社も通産省と競合する形でDIPS計画を展開したが、データ通信技術への対応とはいえやはりコンピュータに偏っており、情報体系に対応したものではなかった。その結果、日本の情報通信技術の展開構造としては通信技術に問題を残すようになった。情報処理技術において、とくにデータ通信技術を含む段階になるとコンピュータの位置づけは大きくなるが、しかし産業政策、しかも単に国際市場における競争だけを念頭においたハードウエア育成政策だけでは、通信に必要なハードも、関連ソフトウエアも発展させられなかったのが、日本での発展構造であった。
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